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新聞を見てゾクっとした 若い時の血がよみがえってきた

今日の新聞を見てゾクっとした 若い時の血がよみがえってきた。
三菱ダイアモンドサッカー」実況アナウンサー 金子勝彦さん。
新聞を見てゾクっとした 若い時の血がよみがえってきた

「三菱ダイアモンドサッカー」
大好きな番組だった。眠い目ををこすりながら真剣というかそれ以上の気持ちで見ていた。
おそらく、私と同じ年齢でサッカー好きな人は絶対見ていたはず。
金子さんの司会と頭のよい岡野さんとの会話がうまくかみ合っていた。

私たちの少年時代は海外というのは別物だった。
高校(東京都立小金井工業高等学校)2年の時(昭和36年)に体育の時間サッカーを教えてもらった。
私が一番関心を持ったのは、オフサイドということば。
日本人の偉い人は、当時も今でも「動かないで待っていればよい」というのが当然だった。
「作戦をもって動きこめ」、「オフサイドを気を付けて」。
(画期的だった。日本人にオフサイドという感覚は全くない時代)
興味を持った。
サッカーなんてスポーツは日本にあるのかないのか。
釜本邦茂(17)68年(昭和43年)オリンピック3位決定戦、開催国メキシコ相手に2ゴール。
1968年10月24日、メキシコ・オリンピックの3位決定戦が午後3時30分からアステカ・スタジアムで行なわれた。
話は簡単。オリンピックの活躍があったからこの番組が出来たのだ。
決して派手ではない
一つ一つの努力の
積み重ねの先に栄光はある


マツンの回顧録 その2 「兼高かおる世界の旅」
新聞を見てゾクっとした 若い時の血がよみがえってきた
話は古いが、私がもう一つ見ていた番組が、「兼高かおる世界の旅」という番組だった。
両方とも遅い時間の放送で眠くなるのを我慢して・・・。
みなさん、その当時は録画という技術はなかったのです。
当時の私はとにかく海外に憧れていた。
カメラを持って世界一周の貧乏旅をしようと思ったら親父に止められた。
久しぶりに亡くなった両親のことを思い出してきた。
1959年(昭和34年) この年より『兼高かおる世界の旅』(TBS)のレポーター、ナレーター、プロデューサー兼ディレクターを務める( - 1990年)。

マツンのダイアリー サボりのマツン 
昨日、今日は珍しくスマホを活用していていなかった。
腰が痛い。
すべてがそこに起因する。
休みで良かった。
といいながら、涙が出て、痛かったのは武蔵境の買い物。
人をよけるのが怖い。
その動きが連動して恐怖の連続となる。
腰が痛いとすべてが暗くなる。
改善する方法があったら教えてください。



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    2012年09月16日 Posted by松本輝一 at 20:27 │Comments(0)マツンのおもいを徒然に

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