こころの温度差を感じて
夏の陽よ さようなら?

調布飛行場でゆっくりと家族で
a-nation 2013 今週末、東京公演2days!今年最後のa-nation!
上記公演が味スタで開催されていた。一昨年、終了の場面で打ち上げ花火が華々しかったのでそれと同じことを予想して午後8時過ぎに駐車場に車を入れて待っていた。何と待っていた隗がありませんでした。午後9時前にスタジアム内でちょろちょろと30秒ぐらいの花火。呆気にとられてしまった。待っている間の調布飛行場からの風は秋そのものだった。夏の陽よ さようならか。違う意味での快感・季節感。

心の温度が合ってきた!

今テレビを見ていたら「心の温度が合ってきた!」ということばと出会った。
「一輪車に夢をのせて」NNNドキュメント
一輪車世界一を4度達成した青森県の小さな児童センター。ここの方針は心を大切にする事。「心の温度を合わせよう」という先生の言葉で子供たちがみるみる変わっていった。
一輪車を指導してもらった1年生の「お兄ちゃんの手には魔法があるよ」ことばが可愛い。指導している先生のこころが通じている。そうか、これこそ「心の温度差が合ってきた」というのだ。制作は、青森放送。

こんな時期か 印施贈呈にあたり
施餓鬼法要の案内

富士山が世界遺産になり、この夏は登山者、観光客が倍増したそうです。かく親しまれるお山も昔は信仰の山・修行のお山でありました。
私も若い頃、先輩の大先達に庇護されながら数々の峯中修行を経験いたしました。山中で仮眠などする時、隣りに先輩の山伏さんがおられるのですが、ふと孤独におちいり、急に淋しくて心が散乱し、一刻も早くぬけ出したい、別の所に身を置きたいなどと思う時がありました。
四国遍路をされた方は「金剛杖」を手に「南無大師遍照金剛」と称え乍ら歩かれたことでしょう。この杖は遍照金剛(お大師さま)の杖(おみ足)です。だから杖を手にするのはお大師さまと共に歩を進め、同じ目標を目指す「同行二人」の旅なのであります。杖をつきながら「ナーム大師遍照金剛」ととなえるのは「お大師さま」「お大師さま」とよびかけ、語りかけをしているのです。そして杖(お大師さまの足)が「コン」(根)「コン」(根)と答えはげまして下さる。こう思うと一人で歩いているのに、一人ではない。お大師さまと一緒なのです。且つ、はげまされながら旅(遍路)をされたことでしょう。
人生を「旅」に譬える人がいます。だとするならば、私たちはこの旅に欠かせぬ「金剛の杖」を持たなくてはなりません。
(水澤山真福寺)
<追記>LINKを操作すると登録のところで「適当でない言葉の使用があります・・・」が出てきて先に進みません。LINKなしで公開・登録しました。

調布飛行場でゆっくりと家族で
a-nation 2013 今週末、東京公演2days!今年最後のa-nation!
上記公演が味スタで開催されていた。一昨年、終了の場面で打ち上げ花火が華々しかったのでそれと同じことを予想して午後8時過ぎに駐車場に車を入れて待っていた。何と待っていた隗がありませんでした。午後9時前にスタジアム内でちょろちょろと30秒ぐらいの花火。呆気にとられてしまった。待っている間の調布飛行場からの風は秋そのものだった。夏の陽よ さようならか。違う意味での快感・季節感。

心の温度が合ってきた!

今テレビを見ていたら「心の温度が合ってきた!」ということばと出会った。
「一輪車に夢をのせて」NNNドキュメント
一輪車世界一を4度達成した青森県の小さな児童センター。ここの方針は心を大切にする事。「心の温度を合わせよう」という先生の言葉で子供たちがみるみる変わっていった。
一輪車を指導してもらった1年生の「お兄ちゃんの手には魔法があるよ」ことばが可愛い。指導している先生のこころが通じている。そうか、これこそ「心の温度差が合ってきた」というのだ。制作は、青森放送。




こんな時期か 印施贈呈にあたり
施餓鬼法要の案内

富士山が世界遺産になり、この夏は登山者、観光客が倍増したそうです。かく親しまれるお山も昔は信仰の山・修行のお山でありました。
私も若い頃、先輩の大先達に庇護されながら数々の峯中修行を経験いたしました。山中で仮眠などする時、隣りに先輩の山伏さんがおられるのですが、ふと孤独におちいり、急に淋しくて心が散乱し、一刻も早くぬけ出したい、別の所に身を置きたいなどと思う時がありました。
四国遍路をされた方は「金剛杖」を手に「南無大師遍照金剛」と称え乍ら歩かれたことでしょう。この杖は遍照金剛(お大師さま)の杖(おみ足)です。だから杖を手にするのはお大師さまと共に歩を進め、同じ目標を目指す「同行二人」の旅なのであります。杖をつきながら「ナーム大師遍照金剛」ととなえるのは「お大師さま」「お大師さま」とよびかけ、語りかけをしているのです。そして杖(お大師さまの足)が「コン」(根)「コン」(根)と答えはげまして下さる。こう思うと一人で歩いているのに、一人ではない。お大師さまと一緒なのです。且つ、はげまされながら旅(遍路)をされたことでしょう。
人生を「旅」に譬える人がいます。だとするならば、私たちはこの旅に欠かせぬ「金剛の杖」を持たなくてはなりません。
(水澤山真福寺)
<追記>LINKを操作すると登録のところで「適当でない言葉の使用があります・・・」が出てきて先に進みません。LINKなしで公開・登録しました。