誰が予想した 沢バロンドール「W杯時のように夢の中」
沢バロンドール「W杯時のように夢の中」
なでしこジャパン主将のMF沢穂希が9日(日本時間10日未明)、スイス・チューリヒで行われたFIFA(国際サッカー連盟)年間表彰式に出席し、年間女子最優秀賞を受賞した。佐々木則夫監督(53)も年間女子最優秀監督賞を受賞で、いずれもアジア勢初。昨年の女子W杯ドイツ大会優勝などの功績が評価された日本人ダブル受賞は、日本の女子サッカーが名実ともに世界に認められた1日となった。

私はサッカーが大好き。高校の体育の時間(昭和37年頃)にサッカーを取り入れてくれた先生がいた。「オフサイド」という考え方が好きになった。先日、アイスホッケーのウェイン・グレツキーの名言「パックがあった場所ではなく、パックが行く先へ」という考え方同様、ボール・パックと同時に人が動くプレーが好き。群れているだけじゃ能(脳)がない。男子バレーボールでいえば猫田というセッターが先駆者だった。一人時間差を巧みに使った。
日本人は素早いというがそうでもない。頭脳を使って人とモノを動かす速さで勝負すべきだ。
左の入場券は1971年(昭和46年)5月、釜本が見たくて国立競技場へ足を運ぶ。日記帳に貼ってあった。
なでしこジャパンのワールドカップの試合で一番印象に残るのが準決勝のスウェーデン戦。7月11日から杏林大学付属病院に入院し7月12日に手術をし集中治療室にいた。7月14日午前3時35分からテレビ放送。13日の夕方に尿管や点滴が外されほっとした時に時間だった。新病棟はテレビはデジタル化され個室なので遠慮せず一人でゆっくり楽しんだ。次のようなメモが残っている。「開始早々、パスミスで失点。その後パスワークも集中し改め続けた。動き続ける女子サッカーは素晴らしい。今年のトップニュース、決勝へ」。
1月9日(月)、NHKで「新春アスリートトーク」という番組を見た。水泳の北島康介さんと澤穂希さんのトークは中味が深く味があった。アナウンサーから今年こういう自分でありたいを一文字で書いてくださいと言われ、北島さんは「挑」、澤さんは「輝」だった。澤さんは私の一文字と同じ「輝」。説明は、「2012年輝きたい」、「輝くメダルを取りたい」、「一人の人間、アスリート、女性として輝きたい」だった。
マツンのひとりごと
なぜか キャンディーズ
11日(水)1時半からNHKのSONGSでキャンディーズの番組があった。眠くて起きていられるか心配だったがご無用。1977年・昭和52年7月17日、日比谷野外音楽堂で解散宣言、1987年4月、後楽園球場で55000人を集めてさよならコンサート。「社会的なムーブメント」と表現された。35年前のことが鮮明によみがえってくる。聴衆の一員となって興奮してしまった。
純粋なまま、この瞬間、終わります、誇りに思っています。
「本当に私たちは幸せでした」
私はといえば、通信制高校の全日制加盟が承認された記念すべき年だった。


なでしこジャパン主将のMF沢穂希が9日(日本時間10日未明)、スイス・チューリヒで行われたFIFA(国際サッカー連盟)年間表彰式に出席し、年間女子最優秀賞を受賞した。佐々木則夫監督(53)も年間女子最優秀監督賞を受賞で、いずれもアジア勢初。昨年の女子W杯ドイツ大会優勝などの功績が評価された日本人ダブル受賞は、日本の女子サッカーが名実ともに世界に認められた1日となった。


日本人は素早いというがそうでもない。頭脳を使って人とモノを動かす速さで勝負すべきだ。
左の入場券は1971年(昭和46年)5月、釜本が見たくて国立競技場へ足を運ぶ。日記帳に貼ってあった。


マツンのひとりごと
なぜか キャンディーズ
11日(水)1時半からNHKのSONGSでキャンディーズの番組があった。眠くて起きていられるか心配だったがご無用。1977年・昭和52年7月17日、日比谷野外音楽堂で解散宣言、1987年4月、後楽園球場で55000人を集めてさよならコンサート。「社会的なムーブメント」と表現された。35年前のことが鮮明によみがえってくる。聴衆の一員となって興奮してしまった。
純粋なまま、この瞬間、終わります、誇りに思っています。
「本当に私たちは幸せでした」
私はといえば、通信制高校の全日制加盟が承認された記念すべき年だった。





