たまりば

地域と私・始めの一歩塾 地域と私・始めの一歩塾三鷹市 三鷹市

定通制高校生の青春メッセージ 耳が悪くても

 定時制・通信制で学ぶ高校生たちの"青春メッセージ"ともいうべきこの大会、全国で2000人近い参加生徒から、地区予選を通過した60名がみずからの体験を発表しましす。いじめや不登校などの経験を乗り越えて定時制・通信制で学ぶ生徒。家族に励まされながら勉学に励む主婦や中高年の生徒。夢をかなえるために自分の打ち込むスポーツや芸術活動と勉強を両立させる生徒・・・。どの発表からも、一人ひとりが抱く学ぶことの喜びが感じられました。
平成19年度の大会で日本放送協会会長賞を受賞した樋上智弘君の「耳が悪くても」を紹介します。
 私が一番印象にあるのは新潟会館で開催された関通研大会でした。前半の発表が終わり控え室に戻ってきました。群馬県太田フレックス高校の女の先生が私のところに来ました。先生、「樋上君の発表に心から感動しました」と涙をこぼしながら言ってくれました。
定通制高校生の青春メッセージ 耳が悪くても
 これから私は普通の人とは少し違う生活について語ります。
私は生まれた時からもうすでに先天性の難聴という障害を持っていました。そのため言葉の聞き取りが難しく大きなハンディとなっていたのです。このように生まれつき障害を持っている人は、まわりにとても少なく自分が通っていた小学校でも、私以外の人が全員障害のない人だったためとても珍しがられていました。学校でもなかなかなじむことができず、いつも一人ぼっちでさびしい思いをしていました。
 そんな学校生活を送っているうちに私の難聴がだんだんと上級生や同級生に知れ渡って目をつけられるようになってしまったのです。その人たちは面白がって私に悪戯したり、私が耳に補聴器を着けていることから、サイボーグだの宇宙人だのといやなあだ名で呼んできました。学校にいることが嫌で嫌でしょうがなく、授業が終わると逃げるように家に帰りました。そして押入の中でひとり泣く日々が1年以上続きました。とても悲しい日々でした。
 またこうしたいじめだけでなく難聴によってよく失敗もしていたのです。どのような失敗かというと先生やクラスメイトとの会話の中での聞き間違いです。たとえば時間割を聞き間違えて、全く違うクラスの授業に出てしまったり、遠足の持ち物を聞き間違え、全く別のものを持っていったりしました。しだいに会話が恐くなり、仲間はずれにされ、「耳さえ悪くなければこんな事にはならなかったのになあ…」といつも自分の障害を恨めしく思っていました。
 定通制高校生の青春メッセージ 耳が悪くてもこのように障害があると何も良いことがなく、障害がない人とは違って常に弱い立場に立だされているという強い被害者意識を感じていました。しかも私はいやな出来事ばかりにあうことから気も弱くなり、どうせ努力をしても障害がない人以上にはなれないと考えるようになりました。自信もすっかりなくし何をしてもたいした結果を出すことは出来ないと自分自身をあきらめてしまっていました。
 しかし、それは大きな間違いであったと思い知らされる出来事があったのです。それは私が中学1年の時の岡部さんとの出会いです。この方は見た目ごく普通の青年なのですが、私よりも重度の難聴で目の前をジエット機が通っても少ししか音が聞こえない程度です。ですから人の話はほとんど聞こえません。しかし、彼は聞こえない耳には頼らず、目で相手の口の動きを見て言葉を理解する、読唇術のような「読話」という神業で会話を成立させていたのです。また彼は、ご両親の厳しいしつけにより、障害者の間でしか通用しない「手話」を一切禁止されていたのです。つまり一般社会で通用しないコミュニケーションの手段は一切役に立たないと言う考えだったようです。私は驚きました。「ここまで徹底して障害を克服しようとするなんて…。」
 さらに岡部さんは幼い頃、障害があることでいじめられたそうです。いじめを聞いたご両親からは「悔しかったら頑張って見返しなさい]と厳しくしつけられ、それをバネに人一倍努力をしたそうです。その努力の結果は素晴らしいものでした。彼は私以上の重度の難聴でありながら、千葉県で一番レベルが高い進学校に合格し、現在、東京の私立大学薬学部に在学中です。
 岡部さんは、私の実力では到底届かない存在でした。しかし私はその話を聞いて上を目指すことに対して強く憧れるようになりました。そしてどんな人でも努力を重ねていけば不可能を可能にすることが出来ることを確信しました。「難聴なんかに負けているわけにはいかない!」
 それからというもの、私は今までの遅れを取り戻すため、努力し始めました。しかしそれはとても大変で、たびたび諦めかける事がありました。そのたび、岡部さんのことを思い出し、ここで諦めたらみんなについていけないと自分を励まし、納得いくまで頑張りました。特に母親との会話の練習は、慣れるまで日々反復練習を繰り返しました。おかげて聞き間違いも少なくなり、クラスでの会話もすすんで出来るようになりました。
 いつしか私へのいじめはなくなり、クラスにも自然にとけ込むことが出来るようになり、楽しい学校生活が送れるようになりました。また親しい友達も増え、積極性も出てきました。これほど変わった自分に驚くとともに、とてもうれしくなりました。
 定通制高校生の青春メッセージ 耳が悪くても正直私は、ここまで変われるとは思ってもいませんでしたいこれもすべて岡部さんとの出会いのおかげなのです。彼が障害を克服する姿が、私の思いを変えてくれたのです。「彼のように重い障害があっても上を目指せるのならば、私だってクラスのみんなと同じ立場に立ちたい。そして、実力を認めてもらいたい。」と。
 もし私にこのような障害がなかったら、そして岡部さんとの出会いがなかったら今の私はなかったことでしょう。耳が悪くてもそれは単に不便なだけで、決して不幸ではありません。むしろ耳が聞こえるという能力のすばらしさに気づかず、宝の持ち腐れになっていることのほうが不幸かもしれません。
 私白身この障害を克服するエネルギーこそすばらしい成長の力であると信じています。そしてこのエネルギーをこれからも持ち続け、私を支えてくれたたくさんの人への感謝に報いるため、障害のある人のためになる仕事をすると心に決めたのです。障害のある人が快適な社会生活を営めるようなシステムや商品開発を、ものづくりの仕事でサポートしていきたいと考えています。そして今度は、岡部さんからもらったエネルギーをたくさんの人に与える側となれるよう、これからも一生懸命ががんばっていきます。
定通制高校生の青春メッセージ 耳が悪くても




  • 同じカテゴリー(記憶に残る生徒・先生)の記事画像
    今日はお休み  武蔵野の面影が残る場所でフェイスブック
    緊張感のあとの達成感! 教え子からのメッセージ!
    夢があるってすごいな 夢を実現するのはもっとすごい!
    休日の時間を有効活用しよう ブログの新しい使い方
    自分にも言い聞かせ、「心と体で汗をかけ」大場先生のおもい
    マルチメディア組織革命 ~繋がりを求めて 坪田知己さん~
    同じカテゴリー(記憶に残る生徒・先生)の記事
     今日はお休み 武蔵野の面影が残る場所でフェイスブック (2012-10-12 22:13)
     緊張感のあとの達成感! 教え子からのメッセージ! (2012-07-01 15:55)
     夢があるってすごいな 夢を実現するのはもっとすごい! (2012-06-21 22:43)
     休日の時間を有効活用しよう ブログの新しい使い方 (2012-04-21 09:47)
     自分にも言い聞かせ、「心と体で汗をかけ」大場先生のおもい (2012-03-02 22:15)
     マルチメディア組織革命 ~繋がりを求めて 坪田知己さん~ (2011-12-19 23:24)

    2011年12月01日 Posted by松本輝一 at 00:26 │Comments(0)記憶に残る生徒・先生

    ※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
    上の画像に書かれている文字を入力して下さい
     
    <ご注意>
    書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

    削除
    定通制高校生の青春メッセージ 耳が悪くても
      コメント(0)